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『光をコントロールする』

『光をコントロールする』 | 社長コラム「一期一会」

光は、取り入れるもの。
かつて僕は、そう思っていた。
大きな窓。たくさんの光。それが良い住まいだと、僕も若い頃はそう信じていた。
でも、少々違う。
光は「取り入れる」ものではない。「コントロールする」ものである。

格子越しに差し込む光。障子を透かして広がる、柔らかな明るさ。深い庇の下、直射日光が和らげられ、ふわりと空間に満ちていく光。
眩しいだけの光に、美しさは宿らない。
遮られ、拡散されて、初めて陰影が生まれる。陰があるから、光が際立つ。静けさが生まれる。
日本には、昔からこの美意識があった。
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を持ち出すまでもない。深い軒。障子。格子戸。すだれ。すべて、光を弱め、拡散させ、空間に柔らかさを与えるための装置だった。
エアコンもない。断熱材もろくにない時代。それでも先人たちは、光と上手に付き合っていた。夏は深い軒で強い日射を遮り、冬は低い角度から差し込む光を、室内の奥まで届かせる。

理屈で語られる前から、それは暮らしの知恵として、そこにあった。
これを、僕らは今、パッシブデザインと呼んでいる。
日射遮蔽と日射取得。夏は遮り、冬は取り込む。一見、矛盾する。
だが、太陽は律儀だ。夏至は高く、冬至は低い。この角度差の中に、答えはすでにとうの昔から用意されている。

軒や庇の出寸法を、その角度差から逆算する。東西は庇だけでは防ぎきれない。ガラスの性能で、すだれで、補う。南に落葉樹を植えれば、夏は葉が茂って日陰をつくり、冬は葉を落として光を通す。季節に応じて姿を変える、もうひとつの装置。
方位ごとに、手を尽くす。それだけで、遮蔽と取得は同じ家の中で両立する。
先人たちが、軒先の深さひとつで体得していた知恵である。
丁寧に設計すれば、家は自然の力を味方につけ、心地よい温熱環境をつくる。断熱、気密。性能の話とセットで語られることが多い。だが僕は、そこにもう一つ、大事な視点を加えたい。

美しさである。

日射遮蔽や日射取得は、単なる省エネの手段ではない。光をどうコントロールするか。その設計行為そのものが、住まいの表情をつくり、暮らしの質をつくる。
深い庇の下に生まれる陰影。格子を通して床に落ちる光の縞模様。障子越しの、輪郭のぼやけた優しい明るさ。積み重なって、「静けさ」という豊かさになる。
僕らがひだまりほーむで目指す、ロングライフデザイン。根っこは同じところにある。パッシブデザインは、その中に息づく大切な柱のひとつだ。

自然の営みと長く付き合いながら、年月とともに味わいを深めていく住まい。経年美化とは、素材が古びることではない。暮らしとともに、美しさを増していくことである。
気候は年々、厳しさを増している。日射との付き合い方は、もはや選択ではなく、必須の設計課題になった。だからこそ、性能の数値だけを追うのではなく、昔から日本人が持っていた感性を、もう一度取り戻したい。それが、僕らの願う心豊かな暮らしの土台になる。

思えば、僕自身もこの知恵を、建築家の吉田桂ニ先生を始め、木造のスペシャリストの先生から教わった。
日射取得。日射遮蔽。先生たちは、そんな言葉を一度も使わなかった。
南にどんな樹を植えるか。軒をどれだけ出すか。窓をどこに、どれだけの大きさで開けるか。昔から日本の家がやってきたことを、ひとつひとつ、教えてくださった。

今思えば、あれこそが日射取得と遮蔽そのものだった。先生の言葉は、専門用語ではない。暮らしの言葉だった。夏はどう涼むか。冬はどう暖まるか。木や軒先と、どう付き合うか。

だから、パッシブデザインという言葉に出会ったとき、僕が感じたのは新しさではなく、懐かしさだった。
新しい理論を学んだのではない。昔から知っていたはずのことに、名前がついただけ。
温故知新。まさにそれである。

新しいようでいて、実はいちばん古い発想。
光をコントロールする、という発想には、そんな日本人らしい知恵と美意識が、静かに息づいている。

パッシブデザインとは、僕らにとって、前へ進むための新技術である以上に、原点に還るための道しるべなのだと思う。