『季節を感じる家をつくりたい』 |新着情報|ウッディライフ

『季節を感じる家をつくりたい』

『季節を感じる家をつくりたい』 | 社長コラム「一期一会」

最近、車の車窓から見える街並みを見ていて、ふと気になることがある。
庭に樹木がない家が増えた。いつ何時も青々しい人工芝や砂利が敷かれ、窓は小さく、カーテンは常に閉まっている。そういう家が、気がつけば当たり前の光景になった。
高断熱化とコストダウンが同時に進んだ結果、窓は「厄介者」になった。。。
窓を小さくすれば断熱性能は上がる。開かない窓にコストも下がる。そもそも、窓が無ければ、安く済む。。。
庭木は管理が面倒だから、人工芝と砂利にしておけばいい。
合理的な判断が積み重なった末に、季節から切り離された家ができあがる。
そういう家を見るたびに、私はなんとなく寂しい気持ちになる。

「季節のない街に生ま~れ。風のない丘に育~ち。」
泉谷しげるの『春夏秋冬』の出だしである。1972年の楽曲で、都市の無機質さへの違和感を歌ったものだそうです。
この歌詞が今は、地方の話になっているように感じる。
都心を歩けば、ケヤキや桜が丁寧に植えられ、街路樹の芽吹きで春を感じ、紅葉で秋を知ることができる。
一方で地方の新興住宅地のほうが、季節から切り離された空間になってしまっているように見える。
「季節のない街」が、今や都心ではなく地方の住宅地の話になっているとしたら、少し残念に思う。。。
かつては、地方の家こそ季節を感じる豊かさがあったはずだ。
庭の梅が咲けば春の訪れを知り、縁側から降り込む激しい夕立に夏を感じた。
紅葉の葉が赤や黄に色づけば秋、軒先の雪が屋根からずり落ちる音で冬を知った。
木があるということは、それだけで家に季節が宿るということだと思っている。

私はかねてから「省エネ」と「小エネ」は違うと言い続けてきた。
「省エネ」は機械と数値の話だ。断熱材の厚さ、Ua値・・・
それは大切なことであり、私たちも高い基準で取り組んでいる。
しかし突き詰めていくと、窓を小さくし、無くすか、開かない方が良い、その方がコストが抑えられる。。。
という方向に向かいやすいようです。
現に、現代住宅は、窓が少なくなり、小さくなったと、サッシメーカーの人が嘆いていた。

しかし「小エネ」は、暮らし方の話だ。
風鈴の音で涼を感じること。
夏の夕暮れに窓を開けて、土手から吹いてくる風を部屋に通すこと。
庭の木陰で子どもが遊ぶこと。
それは数値では表せないが、確かに暮らしを豊かにしてくれると私は信じている。
そしてその豊かさが、エネルギーへの過度な依存を自然と減らしていく。
高性能な家と、季節を感じる家は、矛盾しない。その両立が、私の目指す家づくりだ。
※念の為ではありますが、ひだまりの家は高性能住宅です。G2.5 (Ua値0.36)を目指しています。

だから私は、季節を感じる家を提案したいと思っている。
庭に一本、落葉樹を植える。
春に芽吹き、夏に日陰をつくり、秋に色づき、冬に光を通す。
たった一本の樹木が、家に四季を呼び込んでくれる。
風の通り道を設計すること。
風には入口と出口がいる。その道を間取りの中に織り込んでおくだけで、窓を開けた時に家の中を風が抜けていく。
光を招き入れる窓をつくること。
朝の光、午後の光、西日。光の角度が変わるだけで、家の中に時間の流れが生まれる。
縁側やデッキで、内と外の「間」をつくること。
そこが、人と季節の出会う場所になると思っている。

私は東京の日本橋で生まれ育った。
子どもの頃、自然といえば魚屋さんからもらった発泡スチロールの中に植えられた一株のアマリリスだけだった。
それでも、毎年5月に花が咲く瞬間の感動は、今も忘れられない。
だからこそ、樹木や風の豊かさを知っているつもり。
今、岐阜で暮らし、庭のハナミズキが芽吹く瞬間が、一年の中でかけがえのない時間になっている。
自然を感じることは、心を豊かにする。そのことを、家づくりを通じて伝え続けていきたいと思っている。
地方の家こそ、自然と共に生きる家であってほしい。
そういう家を、これからも一棟一棟、丁寧につくり続けていきたい。