『23年目』 |新着情報|ウッディライフ

『23年目』

風の棟中庭
1999年11月1日
私たち夫婦が鷲見製材に入社した日です。
今日、23年目を迎えました。
 
当時は、まだ住宅事業部が立ち上がったばかり。
売上の95%は社寺建築用材の製材によるもの。
住宅事業部が独り立ちするには、この先数年を要しました。
 
僕自身は、2×4のハウスメーカーの出身だったため、ダグラスファー、スプルスファーと言った2×4インチの木材しか知らず、
杉やヒノキなんていう言葉すら知りませんでした。
始めて行った現場は、その杉と桧をふんだんに使った現場。
明らかに匂いが違っていました。
 
経済学部での僕自身は木材はおろか、建築のことも全くの無知。
何も知りません。
設計なんかするわけもなく、構造や基礎の作りも知りません。
ほんの20年と少し前の僕の姿です。
 
しかし、ハウスメーカーの営業をしていたこともあり、お客さんに会うことはまったく問題なく、
来る日も来る日も「アポなし訪問」を繰り返していました。
説明をする用に、営業ツールを作成し始めたのはこの頃です。
玄関先で端的に伝えるために工夫を重ねていました。
当時はまだ今のようにインターネットも普及しておらず、図書館に行っては本を借り、それをコピーしたり、貼り付けたり。
カラーコピーは高価でしたので、基本的には白黒。
しかも、ワードでの作成。
 
この時の経験により、ツールを作ることやプレゼンのスライドを作ることが割と得意です。
しかし、売上が上がるわけではなく、とても肩身の狭い思いでした。
冬場の郡上は雪が降ります。
窓の外では、製材のスタッフが雪の中フォークリフトを走らせています。
 
それを横目に、僕は室内でぬくぬくと資料作り。
この時は結構つらかったです。
それでも、製材のスタッフは僕にやさしかった。
得体のしれない素人の若者が住宅の営業!?
大丈夫か!?
そう思っていたに違いない。
 
それでも、口数は多くはないが色々と教えてくれた。
現場の職人さんも同じ。
若く、生意気な僕に丁寧に教えてくれました。
なぜか?
たぶん、不器用で、一生懸命でがむしゃらに勉強していたからだろうと思います。
この年になると、不器用でも、一生懸命でがむしゃらな若者は応援したくなります。
 
建築も分からない。
木材も分からない。
職人の世界も知らない。
超ど素人。
だから、この時は本当に必死でした。
今思っても、一番必死だった頃な気がします。
 
今はどうだ?
反省です。。。
いずれにしても、たくさんの人に支えられ、教えてもらい、鍛えられた22年間でした。
23年目の今年は、あの時を思い出し、もっと必死になって見よう。
 
まだまだ足りません。
まだまだやるべきことがあります。
50歳も見えてきたこの頃ですが、まだまだ青春真っ盛り。
もうひと踏ん張りと行きましょう。

 
 
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