『今こそ、森を守るを訴えたい』 |新着情報|ウッディライフ

『今こそ、森を守るを訴えたい』

『今こそ、森を守るを訴えたい』 | 社長コラム「一期一会」

森を守ることが、家づくりの始まり

毎年、春になると、学生たちも郡上の森に連れて行く。
新卒採用を始めて、もう10年以上になる。その間、一度も欠かしたことがない。
なぜ、わざわざ森に連れて行くのか。
理由は、シンプルだ。
「森を守る」という我々の理念に、心の底から共感できない人には、うちには来てほしくないからだ。
極論に聞こえるかもしれないけれど、これが本音。
共感できないまま入社しても、長くは続かない。それはお互いにとって不幸なこと。だから、最初に見せる。
実は、同じツアーを、家づくりを検討されているお客様にも続けてきた。
住宅事業に参入して間もない頃に始めた「森の見学ツアー」。これが、私が最初に手掛けた自社イベントだ。かれこれ30年近く、これまた一度も絶やすことなく続けている。
過去には人が集まらない回もあった。急遽、建築系の学生や設計事務所を呼んだこともある。オーナーのお客様に無理をお願いして参加していただいたこともある。それでも、やめなかった。
続けることで、郡上市や郡上森林組合など、多くの行政や企業が協力してくださるまでになった。

継続は力なり、とはよく言ったものだ。
郡上の森に入ると、まず二種類の森を見てもらう。
手入れの行き届いた森と、放置されたままの森。
説明なんて要らない。見ればわかる。一目瞭然だ。
光が差し込み、下草が育ち、空気が澄んでいる森。
そして、
薄暗く、間引かれることもなく、木が密集して互いを傷め合っている森。
この国に、後者のような森がどれほど多いことか。
そこに、怒りや憤りを感じてほしい。
少なくとも、私は怒っている。(笑)
なんで、日本の森の木を使わないのか。
なんで、岐阜の森の木を使わないのか。
この問いが、ひだまりほーむの家づくりのすべての出発点だ。

林業の歴史。森の置かれている現実。木材自給率の話。
そして、目を閉じて、「音」を聞いてもらう。
風が木の葉を揺らす音。
川のせせらぎ。
鳥の声。
このせせらぎは、やがて長良川になり、太平洋へとたどり着く。
全身で森を感じながら、私はいつも思う。
この森が、今、ピンチを迎えている。今に始まったことではない。ずいぶん前から迎えているピンチだ。
よく耳を澄ませると、森の泣き声や叫びが聞こえてくるかもしれない。
午後からは、製材工場を見学する。
丸太が柱や梁になっていく様子を、目の前で見てもらう。
森から材料まで。半日で駆け足で回るツアーだけれど、カタログや文字では絶対に伝わらない「現実」が、そこにある。
森に入ってこそ、理解できることがある。百聞は一見に如かず、だ。
お客様も学生も、みんな同じ顔をして帰ってくる。心地よい疲れと、何か深いところに刺さったような、あの表情。それを見るたびに、このツアーを続けてきてよかったと思う。

住宅雑誌を見れば、「木の家」が溢れている。「国産材を使っています」という言葉も、いたるところで目にする。
じゃあ、日本の木で家を建てることは「当たり前」になったのか?
違う。
木材自給率は、相変わらず低空飛行を続けている。岐阜県産材の利用も然り。
おかしい。
木造化率は高いのに、自給率は上がらない。何かが、ずれている。
「国産材で建てる」ことは、当たり前になったのではない。ようやく選択肢の一つに入っただけだ。
それを、「当たり前」と勘違いしてはいけない。
私が岐阜県の木、国産の木にこだわり始めて、もう30年になる。
当時、「杉で家を建てる?国産材で?」と言うと、「お前はアホか」という空気が業界に満ちていた。職人たちも抵抗感があった。そこを一人ひとり説得し、想いを伝え、続けてきた。
意地とプライドをかけた、30年間だ。
今もひだまりほーむの現場には、岐阜県産材・国産材しか置いていない。
これは自慢ではなく、誓いだ。
森を守るために、木を使う。
木を使うことで、森に手が入る。手が入ることで、森が元気になる。森が元気になることで、水が守られ、空気が守られ、この地域の未来が守られる。
家を建てることは、その長い連鎖の、入口にある。
だから私たちは、「森守りびとの集団」でありたい。
郡上の森で、学生に、お客様に、それを感じてもらいたいのだ。言葉より、現実を見せることの方が、ずっと早い。
30年近く、同じ場所に通い続けてきた。これからも、続けて行きます。

ナフサショックの今だからこそ、石油に頼らない素材選びなどを考えなおしたい。