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『当たり前化』

『当たり前化』 | 社長コラム「一期一会」
先日、福岡のエコワークスさんに伺う機会を得た。
小山さんはご存じのように省エネやZEHなどの先駆者であり、超スペシャリスト。
しかし、現場と現実は、僕の想像していた風景とは全く違い、
木の家を愚直に丁寧に表現しつくっていた。
僕は、軽くはないショックを受けた。
原点に回帰せよ。
そんなメッセージを受診した気がする。
 
住宅建築を始めて25年。
人間というものは「慣れ」という忌まわしい習慣が顔を出す。
木の家なんて「当たり前」。
国産材なんて「当たり前」。
広がり間取りなんて「当たり前」。
長寿命なんて「当たり前」。
耐震等級3なんて「当たり前」。
エコロジーなんて「当たり前」。
健康に良いなんて「当たり前」。
省エネなんて「当たり前」。
高断熱(G2クラス)なんて「当たり前」。
 
「当たり前」という言葉を言い換えれば、「どこも同じ」。
木の家なんて「どこも同じ」。
国産材なんて「どこも同じ」。
広がり間取りなんて「どこも同じ」。
長寿命なんて「どこも同じ」。
耐震等級3なんて「どこも同じ」。
エコロジーなんて「どこも同じ」。
健康に良いなんて「どこも同じ」。
省エネなんて「どこも同じ」。
高断熱(G2クラス)なんて「どこも同じ」。
 
あるいは、「どこも同じ」という言葉を「どこでもやっている」と言い換えることもできるだろう。
木の家なんて「どこでもやっている」。
国産材なんて「どこでもやっている」。
広がり間取りなんて「どこでもやっている」。
長寿命なんて「どこでもやっている」。
耐震等級3なんて「どこでもやっている」。
エコロジーなんて「どこでもやっている」。
健康に良いなんて「どこでもやっている」
省エネなんて「どこでもやっている」。
高断熱(G2クラス)なんて「どこもやっている」。
が、しかしだ。
本当にそうなのであろうか?
ならば、世間の住環境は我々が思う様に、住まい手の暮らしを本当に良くしているのだろうか?
住宅の耐震化と断熱化により、安心安全な住まいが広がっているのか?
そこに、情緒的な価値である「豊かな暮らし」が広がっているのか?
現実はまったく違うのではないか?そんな疑問が心の中に芽生えています。
多くの家は、相変わらず「建てる側の効率の良い」家ばかりではないのか?
特に昨今の原価高騰を受けて、多くの家は、コストを意識し、「今が良ければいいでしょ」的な発想で家を建てているのではないのか?
大丈夫か?と思うような屋根の納まりを見ることも多々ある。
現場監督が現場の管理をしない。なんて話もよく聞く。
 
では、我々はいかに。
 
一つ一つに意味とポリシーがある。
木の家である必要性
国産材である必要性
広がり間取りである必要性。
長寿命である必要性。
耐震等級3である必要性。
エコロジーである必要性。
健康に良い家である必要性
省エネである必要性。
高断熱(G2クラス)である必要性。
 
一つ一つに明確にポリシーがある。
あるいはストーリーがある。
全てにおいて「答え=見解」がある。
建てる側の都合で言えば、もっと合理的にできる。
が、わざわざ手間のかかる、「職人の手仕事」で家をつくりたい。
これが我々の最大の強み。
しかも、この25年間ブレずに、曲げずに。
こういった想い。
こういったポリシー。
こういった理念。
これをお客様にお伝えしてきたのだろうか?
 
当たり前すぎて話していないのではないか?
枝葉や果実のところで理解し、幹の部分や根っこの部分を話していないのではないか?
木や森に対する、物凄く熱い想い
家とは「こうあるべきだ!」という、不器用な情熱
モノづくり・手作りへの執念
「住む人が幸せになるよう」にという、根幹の愛情
 
当たり前とは怖いものです。
 
我々にとっての当たり前は、周りの人にとって当たり前ではない。