『僕の10年』|岐阜でリノベーションならウッディライフ

『僕の10年』

『僕の10年』 | 社長コラム「一期一会」

東日本大震災から10年。
僕は被災者ではない。
だから、その御苦労や苦しみ、悲しみは分からない。
軽い言葉を言うのも気が引ける。
ただただ、ご冥福をお祈りする気持ちと、お見舞いを申し上げる気持ちだけ。

僕自身の10年間はどうだったろうか?
あの日は仕事をしていた。
岐阜にいても、結構揺れた。
久しぶりの地震で、東海地震に怯えるこの地方の方々は、
とうとう来たか!と思ったことと思う。
まさか、その地震が東北の東日本大震災であるコトはその瞬間は分からなかった。
事の重大さを知ったのは、帰宅してテレビを見た時。
気仙沼が燃えていた。
重大なことが起きていることは、アナウンサーの声から分かった。

その後、数日たって、原発事故の発生。
それ以前から、原発政策には反対の立場をとっていた。
原発に頼らないエネルギーを模索し、住宅においてもパッシブデザインを取り入れていた。
だからこそ、この原発事故はショックだった。
この時以来、「想定外」という言葉に嫌悪感すら覚えるようになった。
僕は決して使うまいと決意もした。

そのスタンスは今も変わらない。

僕が真っ先に考えたことは、
「エネルギー消費の少ない家」
にする。ということ。

そのために、まずは断熱の勉強をした。
それまでは、高断熱をどちらかというと否定をしていた。
しかし考え方を改め、高断熱にすることが、最優先課題と捉え、2012年頃に断熱材のセルロースファイバーに行きついた。

その後も、幾多の自然災害が起こり、
そのたびに、断熱性だけでなく、耐震性や構造計算、木材の強度などを勉強し、
高断熱+高耐震の住宅を研究してきた。

「家族の命を家が守らなければならない。」

そこに一点集中し、自分なりに励んできたつもり。
だが、まだまだ改良の余地も、研究の余地も残されている。

今後もブレずに進んでいきたい。

東日本大震災から家づくりのスタンスが明確になった。
今日はそのスタンスと当時の想いを確認をする日です。